普通って何だろう

何気なく使っているこの「普通」という言葉。

一体何が普通で、何が普通じゃないのか。

そもそも普通って誰が決めたの?

普通の生き方って何だろうか。

ふと思ったので、こんなテーマで書いてみようと思います。

目次

普通の押し付け

日本の教育について考えてみると、普通を良しとするのがわかりますよね。

みんな同じように考え、同じように行動するのが良い。

そこから外れると厄介者扱いしたり、時には教員から怒られたり。

明るい色といって何色を思い浮かべますか?

黄色?赤?ピンク?緑?白?青?

これってさ、正解はないよね。

個人個人で明るい色と言われて思い浮かべる色は違ってよいし、違って当たり前だよね。

そもそも明るい色という概念は、誰が決めるの?

本人だよね?

それを教員自身の概念を押し付けられることもある。

ほんと意味がわからない。

残念ながら、明るい絵の具の色を使いますと言って、茶色を選択したら激怒する教員が日本には存在する。

信じられませんよね。

人格が全く形成されていない大人が存在していることに驚きを感じている。

これも典型的な普通の押し付け。

生徒本人にとっては茶色は明るい色なんだよね。

全然間違っていない。

たまたま教員が思っている色と違っただけ。

教員は何色を思っていたのだろう。

その教員が思っている色が、明るい色の「普通」ってこと?

何様なんだよって話だよ。

明るい色は人それぞれ抱くイメージが違う。

自分自身の普通を押し付けるなって話。

自分が思うことが普通だなんて思ってはいけない。

価値観や感性は違って当たり前だし、それを理解できない大人も多い。

みんなクローン人間みたいに一緒だと気持ち悪いよね。

色々な考えがあって、色々な感性もあって、色々な生き方があるから選択する楽しみもある。

選べなかったら選択なんてする必要もないし、生気を失う。

選択する自由を奪う普通の押し付けは絶対にあってはならない。

普通じゃない方が幸せ

普通と普通じゃないのはどっちが幸せか。

極端かもしれないけど、私は普通じゃない方が幸せだと思っている。

実際に私は普通だと思っていない。

高校まではまぁ普通って言われても仕方がない生き方だったかもしれない。

大学入学から普通を脱し始めたように思う。

東京と大阪の大学に合格し、どっちに進学するかと言われると、大多数は東京を選ぶだろう。

これは私が勝手に思っている普通なので、異論はあるかもしれません。

実際、私の周りの友人たちはみんな東京に行きました。

私はひとりぼっちで大阪を選択。

理由は友達がいなかったから。

誰もいないところに行くのってなんかわくわくしませんか?

だって誰も知り合いいなんですよ?

会う人がみんな初めまして。

そして知らん方言の人間ばかり。

わくわく以外のなにものでもない。

大学選択も普通じゃないと思っていたけど、進路についても普通ではないんでしょう。

周りはみんな就職活動をして社会人になる。

私は就職活動をしていない。

卒業と同時にニート、そして資格浪人。

国家資格の勉強をしている人にとってはよくある流れかもしれませんが、世間でいう「普通」からは外れていますよね。

私も普通を選択していたら、就職活動をして、どっかの会社に入社し(まぁ採用されればの話ですが…)、普通にサラリーマンをしていたかもしれません。

もしそうだとしたら、今もサラリーマンだったかもしれない。

サラリーマンの自分を想像すると、明らかに今の独立した自分の方が幸せです。

別にサラリーマンを否定する気は一切なくて、自分にはサラリーマンが向いていないという意味。

サラリーマンになるとこれまた普通を押し付けられるのではないでしょうか。

普通ならこうやるだろ、とか。

普通ならこのくらい売れるだろう、とか。

普通がノルマって名前に代わって押し付けられたりもするのかな。

上司の普通を押し付けられる。

普通に染まり続けてくると、普通が当たり前になり、自分自身の色を出せなくなる。

出さないのが普通だと植え付けられているからね。

それを抱え込み、病んでしまうこともあるのでしょう。

病む前に脱出しないといけないんですよね。

苦痛に感じたら、普通から脱する勇気が必要。

たまたま私は大学入学から普通を外れましたが、結果的に良かったと思っている。

普通を押し付けられると、私は苦痛しか感じない。

本来はみんな生き方や考え方は自由だし、普通なんてことはなくて良いんです。

最低限の教育は必要なのかもしれないけど、それ以外は自由に選択できるようにした方が結果みんな幸せになれると思っている。

普通という枠を外れ、自身の感じるままに、好きなことをして生きていく。

もちろん多くの人はある程度稼がないと生きていけないけど、無理やり普通に縛られている必要はない。

普通じゃない生き方をした方が、メンタル的にも幸せなんだと思う。

普通じゃないことを悲観的に思う必要はまったくない。

普通じゃない方が幸せなんだから。

まとめ

普通について考えてみました。

レールの上を生きていくのが普通だとすると、レールを外れた場合は脱線して終わりなのだろうか。

それは違うと思う。

レールを外れないと見えてこないものがある。

それが本人にとっての幸せであることが多いのではないでしょうか。

ずーっとレールにいたらおもろくないよ。

なんだか税理士っぽくないブログになりましたが、お読みいただき、ありがとうございました。

  

【編集後記】
9月も最終日ですね。
明日からは10月。
年末調整の準備も少しずつ進めていこうと思います。

【家族日記】
祖父母宅に子供たちだけでお泊り。
従姉妹も一緒で本当に楽しそうでした。
実家が近いのは良いことだなと改めて感じました。

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