日常生活ではどうしてもやらなければならいことがあります。仕事でもプライベートでも学校でも。
それが急にやらなくて良くなった時、ちょっと幸せを感じますよね。
これって縛られている環境から解放されることにより生じる幸福感なのではないでしょうか。
外的要因による義務からの解放
私たちは教育の面でも義務から始まりますよね。義務教育という言葉があるように、小中学校は義務の教育ですよね。受けるのが義務。つまり、受けなければならい教育です。
朝8時過ぎから始まり、5コマの授業あるいは6コマの授業を受ける「義務」があります。公立や私立の違いはあれど、私たちはみんな同じく小学校に通い、中学校に通い、そこから自由に動けるようになります。
今は高校まで義務教育のようなイメージになっていますが、高校はあくまでも「自由」ですよね。行きたい高校を選び受験します。行きたくない、あるいは行けない理由がある場合には行かなくても問題はありません。あくまでも「義務」ではないからです。
でも今は高校まで進む割合が多いですね。世間的にも、親にも、高校までは行けと言われるから嫌々高校に通っている高校生も多いのではないのでしょうか。そう考えると、義務教育と考えても良いのかもしれませんね。
小学校と中学校は国から課せられた義務教育、高校は世間と親から課せられた義務教育と考えることができます。
そんな義務教育の授業が急遽やすみになった経験ってありませんか。きっと一度は経験がありますよね。
国語の授業の予定だったけど、いきなり自主学習の時間に変わる。これは実質自由な時間を得られたことになります。あるいは学教が臨時休校になったことがあると思います。これは丸一日自由時間を手に入れたことになります。
そんなとき、嬉しくなかったですか?私はめちゃくちゃ嬉しかったです。
社会人になってからもこれってありますよね。面倒な会議が上司の都合で急遽キャンセルとなった。嫌な客と会わなければならないアポが先方の都合で急遽流れた。
そんなとき、嬉しくないですか?私はめちゃくちゃ嬉しいです。だって「義務の時間」が急に「自由な時間」に変わったんですから。
人間って本当に単純で、「義務」から解放されると幸せを感じる生き物だと私は思っています。しかも外的要因、つまり意図せず解放された時ほど幸せを感じます。これって、常に外的要因に縛られて生きていることを現わしていると思いませんか。
外的要因から生まれた小さな幸福感を素直に受け入れよう
小学校から始まり、今では義務教育化している高校までを考えると、急遽生まれた自由な時間の使い方は少なからず大人の制限を受けます。授業がキャンセルになった場合には教室内で過ごす義務があったり、学校が休校になったら家にいる義務があったりします。
でもこの急遽生まれた幸せを何して過ごしましたか?おそらく友達としゃべって過ごしたり、カードゲームをしたり、本を読んだり、思い思いのやりたいことをする時間に変えてきたと思います。
社会人であれば急遽できた時間も執務時間ですから、本当の意味での自由な時間ではありません。それでもめんどうな仕事をする予定だった時間が、他の仕事をする時間に変わりちょっと心にゆとりが生まれます。自分で自由に仕事ができる時間に変わります。
これらは外的要因から急遽生まれた「義務」からの解放です。これにより人間は小さな幸福感を得られているのだと思います。
この小さな幸福って予期せず生まれるため、心の準備ができていません。急遽ですから当然です。
そんな幸福が生まれたとき、素直に受け入れられていない人も多いのではないかなと思います。
つまり、急遽生まれた「自由な時間」を、自分であえて違う「義務の時間」に変えてしまっている人がいます。これは特に社会人に多いと思います。どうしても仕事に負われていると、やならければならない仕事がたくさんあります。だから「やらなければならないこと」から解放されたとき、別の「やらなければならないこと」に変えてしまいます。「義務」から「義務」に変わるだけですよね。
急遽生まれた幸福感を自ら拒んでいるんです。これはもったいないと思います。
忙しいのに何を悠長なことをと感じるかもしれませんが、別に珈琲を飲む時間に変えてもいいじゃないですか。もちろんばれないように仕事してるフリも忘れずにね。デスクに座ってないとダメならデスクに座って珈琲タイム。ちょっと外に出られる環境なら外に出て珈琲タイム。
別に珈琲にこだわる必要はありませんが、自分がリラックスできる時間に変えちゃって良いと思います。頑張っている自分にご褒美が舞い込んできたんです。素直に受け入れちゃいましょうよ。
やるべきこととやりたいことは選択できる
社会人になると、仕事を選びますよね。会社を選びますよね。
もちろん希望通りにいくかは別として、選択肢色々あって、選択権は自分にあります。今やっている仕事も会社も、自分で選択しているはずです。
でも人間には不満が生じます。それはなぜか。それは自分の思い通りにならない外的要因に左右されることが多いからです。
社会のルールに縛られ、会社に縛られ、上司に縛られ、同僚に縛られ、お客様にも縛られる。縛られて生きているから不満が生じます。でもこれって自分で解放させることができるものがありますよね。
社会のルール、これは正直ハードルが高いですね。政治家になって法律を変えないと難しい。これは受け入れましょう。会社、上司、同僚、これは転職や独立で解決できそうですね。お客様、自分で選べればなんとかできそうですね。
そう、外的要因って自分の努力次第で少しずつ排除できそうじゃないですか。簡単に言うなと言われそうですが、選択権はあるんです。
あらゆる選択を積み重ねて自分好みの環境を作り出すことができると思います。つまり、やらなければならないことを減らす努力をすると、やりたいことをする時間が増えます。
急遽生まれる小さな幸福感を得る機会は減ります。でも、「義務」と「自由」の割合で考えたとき、「自由」の割合が圧倒的に大きい方が幸せだと思いませんか。縛られて生きるよりも、自由に生きる方が私は大きな幸せを得られると思っています。
そのために私は自ら選択して独立を選びました。仕事も「やるべきこと」から「やりたいこと」へシフトさせました。
責任は重くなりますが、「自由」の割合が圧倒的に大きくなり、幸福度が上がっています。
本来、やるべきこととやりたいことは自分で選択できるんです。そう、今いる状況って自分が選択してきた結果なんですよね。だから変えたいと思ったら自分で変えるしかないんです。選択権は自分にあるはずですから。
まとめ
義務からの解放で人間は小さな幸福感を得られます。外的要因に縛られれば縛られるほど、急遽舞い込む幸福感は大きくなります。そしてその縛りが強くなると不満に変わります。
でもその不満が生まれる環境は自らの選択の積み重ねから生まれています。その不満を解消するには、自分の努力が必要になります。自分でもう一度選択し直す必要があるんだと思います。選択権はすべて自分にあるはずです。
勇気を出して自分が幸せになれる方を選択しましょう。責任は重くなりますが、人生は楽しくなると思いますよ。
【編集後記】
昨日は午前中は事務所にて作業。午後から顧問先を訪問。
予定があったのでいつもより早めに帰宅。
【家族日記】
夕方から長女は習い事の見学へ。下ふたりはパパと過ごしました。
3人ですごろくゲームをし、3人でお風呂に入り、3人でご飯を食べました。
滅多にない3人の時間でした。大変だったけどママの大変さを改めて実感。
ママいつもありがとう。